Poisary

少し毒舌に、日々思ったことを語ります。普段はOLさん。

自分の頭で考えない人、調べない人が嫌いだ

今の日本には思考停止している人が多すぎる。

彼らは本当に考えないし、調べない。知識が何にも勝る武器だということを知らない。

 

何か少し行き詰まると、

どうしよー。わからんー。どうしよー。もう無理ー。

あまりにもアホすぎる。

「どうしよー。」という言葉に意味はあるのか。それをつぶやく時間で解決策を探ろうとは思わないのか。

生産性のない言葉を吐く時間で、手を動かせ。調べろ。

 

こういう人って、命の危機に瀕したとしてもどうしよー。って言ってんのかな。そのときぐらいは黙って頭フル回転させられるのかな。笑

 

 

調べないことの身近な例でいうと、雨が降っていて傘を持っておらず、カフェにいるとする。

よく聞く会話だが

「あ、ちょっと雨弱まってきたかな?もう止みそうかな~。今のうちに出る?」

 

いやいや。なぜ天候のことを自分の感覚で判断しようとするのだ。

レーダーを見ろレーダーを。雨雲レーダーってのがあるから。

てか今もっとでかい雨雲近づいてきてるけど大丈夫??😘

 

で、そういう奴に限ってその後大雨に当たり、濡れただの最悪だのブツブツ文句を言っている。

こちらから見れば本当に、バカすぎてものが言えないのである。笑

 

せっかく目の前にある道具を使わないと、知らずに損ばかりするよ。

自分で調べられるところは調べて、生活に生かしていこうね。

 

インスタや他SNSですぐに過去の投稿を消す人が苦手

私の友達にも結構いるのだが、

インスタやtwitter、他SNSで、ちょくちょく投稿はするけどなぜかしばらく経ったら投稿消す人。

いるよね?あれすごく苦手。

 

なぜ苦手なのか考えてみた。

 

そもそも過去の投稿消すときの感情って、

「うわっ!そのときはよかれと思って投稿したけど、なんか文章ポエムっぽいしきもいな!なかったことにしーようっ!」

「え、なんか写真写り悪くね…?可愛くない私を画面に表示し続けるなんて耐えられない!削除!」

とかそんなのが大半でしょ??

 

その感情や事実に、投稿している当時気づけない頭の悪さ、客観的視点の欠如が嫌いなのだと気づいた。

 

るんるんで投稿していたものを後から消す、ということは、

「過去の自分」を自分で否定しているということに他ならない。

それってものすごくダサくて悲しくないか??

多少きもい文章を書いていたとしても、それも自分の生まれ持った性質。

諦めて認めるか、本気で文章の書き方を改善するかしかないだろう。

 

にもかかわらず、投稿を消す人たちは、なぜか繰り返す。

😘「キラキラしてた今日一日を世界に発信!いいねいっぱいくるかな~✨」

数日後… 

😥「うわっ!この投稿なんかやだ!なんでこんな投稿したんだろ…消そ。」

 

何度自分を否定しても、まっっったく、変わらない。

よって結構な頻度で投稿しているにも関わらず、プロフ画面には常に2,3個の投稿しかない。

この驚くべき学習能力の低さに寒気すらおぼえる。本当に苦手だ。

 

加えてこの人たちの滑稽なところは、

投稿を消すたびに生まれ変わったような気分になっているところ である。

 

過去のきもかった自分は清算!これからはもっと大人になる!

と毎回思っているが、数日後にはまた同じことをやっている(笑)

 

最後に偏見かもしれないが、

投稿をすぐに消す人は本当に精神年齢が低い人が多いので、気を付けて。

 

それでは!

 

趣味が寝ることって何なん?

たまにいますよね。

大真面目に「趣味は寝ることです!」っていう人。(たまにじゃなくて結構いるかも…?)

 

何それ?🤣

まじでアホなんか?大丈夫か???

 

この世はこんなに楽しいこと素敵なことわくわくすることで溢れているのに、

生産的でクリエイティブな活動をされている素晴らしい方が沢山いるのに、

 

お前の一番の楽しみは

人間の三大欲求の1つであり、どんな人でも毎日当たり前にやっている「睡眠」なんか? と。

くそつまんねえ人生だな。

 

私なんか寝てる時間が勿体ないと思うほどやりたいことが沢山あるというのに…

 

例え引きこもりニートだとしても

「趣味はゲームをすることです。寝る間を惜しんでずっとゲームしています。」

とか

「趣味はYouTube鑑賞です。1日10時間は見ています。」

って答える人のがましだぞまじで。

 

どれだけ腐ったとしても、間違っても寝ることが一番好きだなんて答える大人にだけはならないようにしよう。な。

文系・理系の本来の在り方

「俺(私)文系なんだ~」

この一言を聞くと、どこかで無意識にこう思ったことはないだろうか。

 

・数学めっちゃ苦手なんだろうな~~

・なんとなくあんまり頭よくなさそう

・勉強せずに学生時代遊んでたっぽい

・(ついでに)なんか陽キャのイメージあり

 

そういつの間にか、

文系=数学や論理的思考は苦手な、理系に行けなかった人たち

理系=なんか頭よさそうな人たち

という方程式が出来上がっている気がする。

まあ上記が100%間違っているわけではないのだが、、、

 

でも今日は、この方程式をぶった切りたいと思う!

 

自慢みたいになって恐縮だが、一番初めの自己紹介に書いた通り、私は中高主席卒業である。つまり学校内では一番学力が高かったということである。

その私はというと、バリバリの文系出身である。

 

私が主席だということを元々知っていてこれを聞くと

「へ~文系なんだ。でもまあそこそこ勉強ができたことは間違いない!」

と思う人が多そうだが、おそらくその事実を知らずに聞いた人は最初に箇条書きしたような印象を持つことだろう。

 

以下、私の考えを書こう。

文系=数学ができない人 ではない。

本来(レベルの高いところで考えると)、全教科完璧にできた上で、自分が進みたい分野を選ぶ、という考え方が正しいはずである。

現に私は理数も国英社も100点を取っていて、その上で英語と国語が一番好きだから文系に進んだのである。

学生時代一部の理系の奴らが文系を見下す発言をしていたり、「今話してる内容たぶん意味わからんよね?俺らは今文系と違って難しいことやってるから~」とかほざいているのを聞いて、

いやいや、数Ⅰの時点で私より点数悪かった奴らが何言うとんねん。と何度も心で毒づいていた(笑)

数Ⅰで負けている奴らが、数Ⅱ数Ⅲで急に勝てるわけがない。数学とは積み上げの学問であるからだ。

 

憶測でしかないが、たぶん今の日本には

理数:80点、国英社:60点 →理系に進む という人が多いのだろう。

全教科100点 →迷うけど数学が好きだから理系に進む という人は限りなく少ない。

私からすると、前者の理系の方々は賢いわけでもなんでもなく、消去法で仕方なく進路選択をし、ひーひー言いながら日々数字と戦っている人々、という印象である。

あと、全教科平均点以下で文系に進んでいる人たちは、申し訳ないが「文系」と名乗ってほしくはない。それはもはや「系」ではないからだ。選ぶ余地などなくただアホだった、という表現が一番正しい。

※悪気はない。きちんと注釈しておくが、ここでいう「アホ」は学校でのお勉強に対してのみだ。実際勉強はできなくても地頭がいい人はたくさんいるし、底辺高校出身でも話してて頭いいなと思う人は私の身近にもいる。

 

まあ愚痴はこのへんにしておいて、

文系理系は本来完全に対等であるべきで、どっちが劣っているとか優秀とかはない、というのが私の考えである。

 

わ~今日の内容すごく叩かれそうな内容だな。笑

でも発信!それでは!

令和時代にも「結婚を焦れ」② ~週末婚ならアリかもな~

前回の記事では、まだまだ結婚に対する幻想を持ってる人が多いのでは、という内容を書きました。

 

それでは今からとにかく「結婚したい!」と必死な人に対して私が最も理解できないと感じる部分を書いていきます。

 

なぜ結婚したいのか

まず私の考えとしては、恋愛の延長線上に結婚がある。

 

誰かと付き合う→やばい、この人のこと好きすぎる、ずっと一緒にいたい!→結婚

これはめっちゃわかります。私も将来こうなる可能性はあります。

ただ、世の中には

とにかく早く結婚したい!→結婚相手を探そう!→アプリや結婚相談所で適当な相手を見つけてくる→結婚

という流れが存在します。

私からすると、順序がおかしいのです…

「相手」に魅力を感じて結婚するのは筋が通っていますが、「結婚」に魅力を感じて相手を探すのは訳がわからん。

おそらく婚活とかしてるほとんどの人が結婚歴なしのはずなので、結婚のよさなんて知ってるはずもないから、です。

 

まぁ、結婚したい明確な理由(お金のためとか…?)がある人はまだいいですが、問題は「なんとなく幸せそうだから」と答える人たちです。そんな甘くないと思うぜ…

今後の何十年をたった一人のパートナーと過ごすんですよ。

そのパートナー選びをあまりにも軽く考えてる人がほとんじゃありませんか。

誰かと一緒に暮らすってことは、自分のペースや時間を邪魔されて、思い通りにいかない時間も増えるってことなんですよ。

※あと補足ですが、子どもがほしいからって理由は一番わかりやすく明確ですよね。

期限があって焦るのもわかるし、「未婚の母」とか「シングルファーザー」とかになると、また余計な固定観念のせいで変な印象を持たれることもあるし。※

 

結婚はあくまで選択肢の一つでしかない

もちろん結婚生活の中で幸せなこともたくさんあるだろうけど、それはあくまで選択肢の一つに過ぎなくて、一人ぼっちで同じぐらいもしくはそれ以上に幸せになるっていう道も当然あるんですよ。 

一人=孤独 ではない。一人=一番幸せ な人もいる。

それを理解できてない人がまだ多い。

こちとら誰かと共同生活するなんて相当難しい人種だし、一人でゆっくり趣味を楽しんでる時間が一番心落ち着けるんだわ…

「一人は寂しいから誰かと一緒にいたい」って全員が思ってると思うなよ。笑

あ、でも少子高齢化の原因を作ってるのは完全に私のような人間です。それは認める。ごめんね。笑

 

なんかこれだけ書くとめちゃくちゃ恋愛未経験の引きこもりみたいに聞こえるけど、

私は恋愛経験が少ないほうではないし、ごくごく健全に男の人と話したり関わることが好きです。

だから付き合ったり、日々を異性と一緒に過ごす楽しみはちゃんと知っている。

その上で!結婚はしたくないと言ってるのだ。笑

 

恋愛の賞味期限を考えると…

ついでに話すと、恋愛の賞味期限は3年という。

ということはほとんどの夫婦が4年目以降は「恋が愛情に変わったね」という言葉で誤魔化して我慢の日々を送っている、ということになるのではないか。(ちょっと極端な書き方だけど)

それなら独身を貫いて3年ごとにパートナーを変えている人のほうが幸せな可能性はないか?

こんなふうに自分の頭で考えている人が今の日本にどれだけいるのだろうかと常々思ってしまう。

 

ま、上述したように私も相当大好きな人ができて大恋愛の末なら結婚してもいい。

でも、しても週末婚だな。それが限界。笑

週末婚:平日は別居して週末は一緒に過ごす夫婦のスタイルのこと

 

いろいろ書いたけど、結婚したい人を否定するつもりは全くありません。

それやると私に結婚したほうがいいよって言ってくる人と同じになっちゃうからね。笑

あくまで私個人の意見です。

 

結婚するか迷ってる人は参考にしてみてください~それでは!

令和時代にも「結婚を焦れ」① ~結婚願望がない人もいるよ~

私は先日25歳になったばかりの女性(現在彼氏なし)であるが、地元では既に結婚している同級生の女子が多くなってきた。

 

当たり前のように

「そろそろ将来とか考えて行動したほうがいいんじゃない?」

「いい人おったらしっかり捕まえときなよ~」

「いや、さすがにもうちょっと焦ったほうがいいでしょ笑」

などと言ってくる輩がいるが本当にいい迷惑で、毎回イラッとさせられる。

これだけ多種多様な生き方が認められている令和時代にすらまだそれを言うのかと、ほとほと呆れるばかりだ。

 

まず前提として、私には結婚願望がない。子どもがほしいという願望もない。

そんな相手に向かって結婚は当然するべきという固定観念の刀を振りかざして「結婚を焦れー!」って向かってくるなんて、こっわ。

そんなことしても壁に向かって一人で話してるのと同じだよ?無意味。

 

そもそもみんななんで結婚したいの?

結婚=幸せ という幻の方程式をいつまでも信じてるからじゃないの。

現代の離婚率知ってる?38%だよ?(2019厚生労働省より)

これ、とんでもない数字なんだけどなあ、、、これ見ても現実を信じたくない人が多いのかね。

だって、実際に周りでいつまでもラブラブな夫婦とかほとんど見たことなくない?

お互い常にイライラしてるとか、旦那が家にいないときに喜んでる主婦とか、不倫とかそんな話ばっか聞くやん。

なぜそこに自ら飛び込んでいくのか、全く理解できない。

自分だけは例外だと思ってるのか(笑)

 

多数の方が当たり前にしてる「結婚」って私はすごく難しいことだと思ってます。

2人きりですることだからね。自分と相手それぞれの言動がすごく大事。

なのに、みんなどこかで ”この人が自分のこと幸せにしてくれる” って相手に丸投げしてません?

これが結婚に対する憧れを生み出す原因になってる気がする、、現実は違うはずなのに。

 

ちょっと長くなりそうなので、続きは別記事にて書きますね。

次回は結婚を急ぐ人たちに対して私が最も理解できない部分と、私の考えについて。

 

それでは一旦バイバイ!

友達の定義

みなさんは何をもって「友達」と「友達でない人」の線引きをしていますか。

これ、意外と明確に答えられる人は少ない。

「信頼できる人」とか「悩みを相談できる人」とか曖昧だ。

 

しかし私は、友達について確固たる定義を持っている。

それは、男女問わず

「何の違和感もなくサシ飯に行ける人」だ。

ピンとこない人もいるだろうか。

でも考えれば考えるほど、これ以上に明確でわかりやすい定義が見つからないのだ。

 

サシ飯に誘うことに少しでも躊躇がある相手に対しては、

あぁまだ友達になれていないんだなと考え、

ただの「知り合い」だと判断する。

本当の友達なら、「ご飯行く?」と気軽に聞けるはずだからである。

また「何の違和感もなく」という部分も重要で、

・あの人とサシ飯に行ったことはあるけど、なんか気まずかったな

・別に行きたくなかったけど誘われたから行った、楽しくなかった

という場合は、省いて構わない。

自分が、この人とご飯に行くと楽しい!と思える人だけをカウントする。

相手が本当に楽しんでいるかどうかは関係ない。

楽しそうならそれでOK。

なぜなら自分が相手を友達とみなすかどうかは自分の勝手であって、一方的なものでいいからだ。

小学生じゃあるまいし、お互いに思いあっていることを確認する必要はない。

自分が友達だと思うならそれでいいのだ。笑

 

この定義があれば、

"授業かぶってるときはなんとなく一緒に行動したりしてるけど、そういえば一回も放課後遊んだことはないな" (大学生にありがち?)

"同じグループには所属してるけど結局あの子のことよく知らないんだよな…てか一対一で喋ったことなくね??” (たぶん学生時代の女子にありがち)

”すれ違ったら挨拶して雑談はするけど…” (いわゆるよっ友)

といった人物のことも「上辺だけの関係」と明確にすることができる。非常にわかりやすい。

またサシ飯に行けている時点で、上で例として書いた「悩みを相談できる人」にも必然的に当てはまってくるというわけである。

 

こうやって書いていくと、

🤔 ”じゃあ会社の同期とかはどうなんの?サシ飯とか何回も行きすぎて違和感なくなってきてるけど?一応話してると楽しくはあるけど、、本当に友達っていえるのかなあ。”

という人も出てくるかもしれない。

うむ。そこは、頑張って自分で判断してほしい。というか、できるだろう。

だって、本当に友達っていえるのかなあって自分で思ってるのだから。笑

確かに仕事としても関わる関係ってのは判断が難しい。

でも迷っている時点で友達ではないって証拠なのだ。本当に友達なら、素直に引っかかりなく友達といえるものなのだ。

 

あと、念のため言っておくが「親友」の定義ではない。

親友として相手のことを考えようとすると、追加で検討しないといけないことがいろいろと発生してくるので、ここでは友人段階としてのみの話にとどめておく。

 

なんだか論文チックな書き方になってしまったが、

これは私が四半世紀の人生の中で思いつき、正しいと確信したとっておきの定義なのである。笑

ぜひ、迷ったときに使ってみてほしい。

なるほど!ってなるはず。笑